Mac-3 (OS)
 さて、Mac OSも生まれてからここまで、様々な変化が起きてきた。Mac-1でも書いたようにその基本は変わっていないが、なにせ現在のバージョンは9である。普通に考えれば、大きなバージョンアップが8回行われた、ということだ。初期のOSを知っている人からしたら「そんなに変わったかぁ?」と疑問を持つのも頷ける。だいたい、バージョン3〜5を知っている人はいるのだろうか?
 Macはアメリカ生まれのアメリカ育ちである。初期は、日本語もまともに扱えず、パッチやら何やらでやっとしのいでいたが、6からは仕事にも使える程度になった。バージョン7.5までは「漢字Talk」と言う名称で日本語版のMac OSが売られていた(または売られていなかった)。漢字Talkは1.0、1.1、2.0、6.0.2、6.0.3、6.0.4、6.0.5、6.0.7、6.0.7.1、7.1、7.1.2、7.5、7.5.1、7.5.2、7.5.3、7.5.5と進化していった。そう、3〜5は存在しなかったのだ。その後、漢字Talkの名称は消え、「Mac OS」となって現在に到る。英語版は「System」という名称でOSが存在し、途中から「Mac OS」の名称となった。バージョンは1.0、1.1、2.0、2.0.1、5.0、5.1、6.0、6.0.1、6.0.2、6.0.3、6.0.4、6.0.5、6.0.7、6.0.8、7.0、7.0.1、7.1、7.1.1、7.5、7.5.1、7.5.2、7.5.3、7.5.5、7.6、7.6.1、8.0、8.1、8.5、8.5.1、8.6、9.0、9.0.1、9.0.2、9.0.3、9.0.4と続いてきており、日本語版にないバージョン5はあるが、やはり3と4は公式にはリリースされなかった(しかし!86年発売のPlusは遅いことを抜かせば1.1から7.5.5まで使えた。スゴイことだ)。

 ボクがMacを使い出したのは1990年、漢字Talk 6.0.7からだ。このOSはフロッピーからでも起動できた。今となっては信じられないほど軽かったのだ。アイコンもカラーではなく、ファインダもシングルファインダとマルチファインダが切り替えられるようになっていた。どういうことかって? シングルファインダでは一旦ファインダを終わらせて、他のひとつのソフトを動かしていた。それを終了させるとファインダに戻ったのだ。少ないメモリ環境だったので、ファインダがご丁寧に全てのメモリをほかのアプリケーションに渡していた。マルチファインダを使うことで、はじめて同時に2つ以上のアプリケーションを立ち上げることができた、昔なつかしいOSだった。
 劇的な変化は6→7に起こった。英語版のSystem7が出て、アイコンがカラーになり、コントロールパネルが変化し、フォントの扱いも変わってまさしくメジャーなバージョンアップだった。しかし漢字Talkは半年しても出なかった。業を煮やした日本のユーザーは、6.0.7の日本語部分をSystem7に組み込むという暴挙に出た。古いユーザーは知っている「GomTalk7」がそれである。非常に安定して動き、マニアはこの興奮すべき7.0を優越感に浸りながら使っていたものだった。そのころはインターネットなど学術目的に使われていた程度で、現在のような盛り上がりは予想も付いていない時代だ。もっぱら「パソコン通信」が情報交換に使われていた。@Niftyの前身である「ニフティーサーブ」あるいは「日経MIX」などが代表的だ。そのバーチャルなコミュニティーでコンピュータの文化は大事に育まれてきと言っていいだろう。
 その後、米国のSystem7が7.1にバージョンアップされて数ヶ月、本物の漢字Talk7が発表された。劇的だった。

 さて、その後8、9と来た。細かい改良は多くあり、新しい技術が少しずつ採りいれられはしたが、根幹部分は7からさほど変わっていないというのが正直なところだ。8になってアイコンが斜めになったのが最大の変更点かも(笑)。9に関しては、インターネットも検索できる「シャーロック」が最も目立つところだ。
 本来の「8」はAppleの中で劇的に変わるはずのOSとして開発されていた。「Copland」という開発コードが与えられたそれはUnixが持つような完全なマルチタスク、メモリー保護の機能を備えたまさにメジャーなバージョンアップと呼ぶにふさわしいものになるはずだった。様々な技術が開発され(これらは実際の8/9に採用されたものもある)、夢のOSと言ってもいいようなものを皆が期待した。しかし、予定された期日は次々に先送りされ、責任をとって開発責任者が何度となく交代した。そして、最終的には「開発中止」となる。当時のCEOであったAmellioは、新たに開発するのではなく、他で開発した技術を持ってくることでOS進化の道を拓こうとした。いろいろな話が持ち上がっていた。最有力候補だったのが「Be OS」だった。Appleを辞めた技術者がAppleにとらわれない(互換性を気にせずにすむ)OSを開発しよう、と興した「Be」社の技術だ。そう、Coplandは「互換性」という難題に苦しんでいたのだ。完全に違うOSでなければならないのに、過去に使われていたソフトも使えなくてはならない。使えなくするのは簡単だが、いままでソフトを開発してきたサードパーティーはついてきてくれるのか? 付いてこなかったらそのOSは終わりとなってしまうことは目に見えていた。
 そのときは来た。まず予想されていなかった「NeXT」社がAppleに買収されたのだ。あのJobsの会社。興奮は頂点に達したと言ってもいい。Jobsが帰ってくる! 古くからのユーザーの興奮は凄まじかった。そして、NeXTにMacに似たインターフェースを載せたMac OS X Server(Mac OSのアプリケーションは動かない)が発売され、来年には新時代のOS、Mac OS Xがやってくる(ハズだ)。
 「OS X」はUnixである。Macに乗ったUnixは過去にもあるが、Macのインターフェイスを継承し、OS 9までで動いているアプリケーションも同時に動くUnixははじめてだ。Coplandで目指したOSが、NeXTの技術と知識を得ることではじめて可能になろうとしている。現在OS Xのパブリックベータが有償(!)で配布されていて、ボクは使っていないが新しもの好きの人々は競って使っている。「違うOS」なのでとまどいは大きいようだが、使っているうちに馴染んできて、違和感をおぼえないようになると言う。本当かどうかはわからない。Appleも当初はOS Xをプロ用のOSに位置づけ、OS 9はコンシューマ用としてモディファイを続けていく、とコメントしていた。エレガントなインターフェイスで、「パソコン」としてコンシューマレベルでも違和感なく使えるOSをみんなが望んでいる。
(つづく)

06/November/2000 (in1946 Sally Field was born!)

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