●野菜(1)
 ヨーロッパでは狂牛病が猛威を奮っているようだ。イギリスに端を発したものが、今やフランスに飛び火して学校給食から牛肉を使った料理が消えた。まだ狂牛病が見つかっていない国の酪農家が厳寒の国境で国外から持ち込まれる牛肉に目を光らせている映像もテレビで紹介されていた。イギリスはローストビーフの国であるし、伝統的なフランス料理に牛肉は欠かせない。地域の伝統を継承していくのに不可欠な要素のひとつであると言ってもいい牛肉の異変は、その土地の文化に何らかの異変をもたらすかもしれない。
 近頃の日本にも肉食文化がすっかり定着した。ヨーロッパ的と言うよりアメリカ的なそれは、文化的と言うよりはビジネス的で、ファストフードやファミリーレストランといったマニュアル化されたものが下支えしているように思える。子供たちの嗜好もハンバーグ、スパゲティ、カレーといった洋食に偏っているし、ジャンクフード(ハンバーガーとかインスタント食品、スナック菓子など)を食べることに抵抗は全くないのが普通だ。焼肉屋は大繁盛だし、カツなんかも日常的な食べ物だ。ボクも嫌いではないのも多く、その全てを否定するわけではないが、ボク自身おいしいと思えないものを好んで食べているのを見ると不思議な感じだ。スーパーやコンビニなどで総菜や弁当も売っているが、おいしそうに見えないのはなぜなんだろうか?

 先日、妻の知りあいで、彼女の郷里で農業をいとなんでいた角田(つのだ)さんが亡くなった。農薬を使わず、おいしい米や野菜、果物などを作り続け、ずいぶん色々なことを教えてもらったと聞いている。
 土が滋養に富んでいると、野菜もウマイ。生命力も強く、八百屋やスーパーで売られている野菜だったらダメになる期間放っておいてもみずみずしさを保っている。自然の食物連鎖が土地に生きていれば、土地は富むが、普通の土地からそういった土地にするには何年もかかる。そんな土地に育つ野菜は、特別なことをしなくてもはげしい虫食いは起こらない。とにかくなにより、全てうまく行き、そしておいしいのである。これが正しさでなくてなんだろう?
 妻はそんな野菜を実家から持ってきてくれていた。その正しさと稀少さはそれまでに経験しなかったことだった。正しさを力説する妻だったが、ボクには意味が最初わからなかった。しかし、正しい野菜に多く接していると、普通の野菜との違いに気づいてくる。味がない、生命力がない(リキがない、と我が家では表現する)、太陽光が入り込んでいない……。
 妻は体の調子が悪かった。よく熱を出し、ひどい冷え性に悩まされていた。いまでも完全に毎日が健康!と言えるまでではないが、ずいぶんといい。角田さんのおかげ、というのは間違いではないようだ。いい野菜から生命力をもらったのだと思う。

 しばらくすると、角田さんは体調を崩し、入院するようになってしまった。角田さんが心配で、妻は見舞いにも行った。妻の実家が我が家から遠いこともあって、少量いただいていた野菜もついに手に入らなくなった。我が家は悲嘆にくれることになる……。
(つづく)

08/December/2000 (in1923 Maria Callas was born!)

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